2014-03-29

ROLL①-「原田秀治」と楽曲解説①

19歳になったばかりの春、僕は日本大学は芸術学部の映画学科脚本コースというところに入学をして、当時は文章で身を立てたいという志もあり、小中高と不遇の12年間を送った僕にとってようやく希望通りのレールに乗ることができたのがこの年で、当時はそれなりに内心活気に満ち、精神的にもかなり落ち着きはじめるかと思われ、こっそり文章を書いたり読書や映画鑑賞に耽ってみたりとこれからの充実を期待できる時期ではあったのだが、通って間もなくして、芸術系大学に通う学生特有のコンプレックスに陥って時折泣いてしまうほど学校に行くのが嫌になり、映画も小説も嫌いになりかけはじめた時に、気分転換にはじめたのが音楽だった。
受験勉強の時から『気分転換』という言い訳のネタにギターで曲を作ったりもしていたのだけれど、もう内に篭って音楽をやっているだけでは僕のストレスやフラストレーションを解消することはできず、下北沢の駅前の路上で素足で転げ周りながら歌をうたいはじめた。
気が滅入ったら下北沢にギターを持っていく、っていうのを3年近くやっていた気がする。
警察にも何度も怒られたし、当時下北沢に店舗があったミキリハッシンのアキラさんやそのお客さんがたまに通っては観てくれていた。

当時の僕は、音楽に妙な線を引いていて、ある程度の距離を保ちたいからライブハウスには出ないとかずっと言っていて、結局2008年5月にはじめてUFO CLUBに出ることになる。初めてのライブハウスでの対バンは大森靖子。
この直前に国立の地球屋に『香りのするシャンプー』という友人がやっているバンドを観にいったときに知り合った『FALSETTOS』、下北の路上で歌っていて声をかけた『岡敬士』くんにはこれまで大変世話になることになる。もう6年も経ってしまった。どうせすぐやめると思っていた。

今日お話したいのは、2008年上半期、同時期に出会うことになるのが現在カミイショータグループでベースを担当している原田秀治という男なのだが、今でさえ死ぬほどいけ好かない男ではあるが、当時は今の数百倍はいけ好かない男で、どれくらいいけ好かない男かといえば、挨拶は無視、ライブ後での食事の誘いは「俺、アフターとか嫌いなんだよね」 の一言で一蹴。
何を言っても笑わず、スカしているくせに仕事は新聞配達。mixiの日記は自撮り写真ばかりであり、こんなことメンバーの僕が言うのもあれだが、当時は本気で腹の底からこいつは気持ち悪いと思っていました。とても嫌いでした。
しかしそんな彼だが、
「あいつは女と出会うためにイベントをやっている出会い系イベンター」、
「高円寺の夜王」、
「シックボーイwwwwセックスガールwwww」
などの悪評に負けず、涙が出るほど集客のない超赤字イベントを高校生の頃から20代前半まで続けるという、これがなかなか根性のある男であるのだ。「自主イベントのあとはひとりで漫画喫茶に泊まっています」と言っていた彼ですが、僕は今でもこれは嘘だと思っています。
よく見たら、彼の髪型、確かに夜王っぽいですよね。どちらかといえばホスト系ですよね?

ここで彼が主催していた「sickboysexgirl」というイベントに出演したバンドを、思い出せる限り紹介していきたいと思います。

岡敬士
singing nonsense
坂本移動どうぶつ園
フジロッ久(仮)
アンダースローバレリーナ
加藤亮二
猫っかぶりゼネレーション
エーツー
東方力丸
枡本航太
GEEKSTREEKS
クリトリック・リス
No.305
病気マン
DODDODO
神さま
PASTAFASTA
水中、それは苦しい
野兎
wienners
オシリペンペンズ
悲鳴
昆虫キッズ
JET BOYS
ブラジルUFO
BONJOUR
BOYS RUN
ファンシーナムナム
魔ゼルな規犬
内藤重人
田代まさし

組み合わせにもよりますが、なかなかのラインナップです。正直言って、なかなかのラインナップです。これだけのバンドを呼んで、全イベント漏れなく赤字を叩き出した彼の人望の薄さが、このラインナップで伺えます。
ちなみにわたくしも、一度ソロで出演しました。
その時のメンツは
●田代まさし
●クリトリック・リス
●PASTAFASTA
●JET BOYS
●カミイショータ
でした。
この日の集客が過去最高動員でライブハウスのノルマをはじめてクリアすることができたみたいですが、結局ギャラで赤字でした。
この日の僕のギャラは1000円とラーメンでした。1000円は封筒に入れるでもなく、楽屋でそのまま渡されたのを今でもよく覚えています。

そんな彼が、専門学校を卒業し、同時に新聞配達の仕事をやめてミニストップの店員になった頃、憑き物が落ちたように少しずつ明るくなりはじめ、「カミイバンドやろうよ」などとぬかしてきたのが2009年末だったと記憶しているのだけれど、前述した通り僕は彼のことをとても気持ちの悪い嘘つきでいけ好かない奴だと思っていたし、バンドがやりたくて音楽を始めたもののいざひとりではじめてみればもうひとりでいいやと思い始めていた頃だったので、「嫌です」の一言で彼を一蹴し、ようやく原田に冷や水を浴びせることができたと内心とても喜んでいたのですけれど、野兎さんというKSG初期メンとあるライブで出会うことにより急激にバンドがやりたくなり、イチからメンバーを探すのもとても面倒なので、仕方なく、本当に仕方なく、妥協に妥協を重ねた末に原田くんをベースに誘いました。「ギターがやりたい」と彼は言ってましたが、ベースをやらせました。

KSG初期からライブに遊びに来てくださった皆様はよくご存知かと思いますが、彼のベースはもはやベースではありません。「ギターのようなベース」 なんて例えをする方もいるのかもしれませんが、そもそも楽器が奏でていい音ではないようにも思います。ベースという楽器はバスドラムとスネアドラムに合わせて低音を奏でる楽器ですが、彼は打楽器を無視します。打楽器どころか、楽曲のイメージも無視します。とにかく動きまくるベース、芋虫のように、死にかけのゴキブリのように、祭事に喜び踊りまくるアフリカあたりの少数民族のように。
彼がそんなベースを奏でるたび、僕は殴った。何度も殴った。何度も何度も殴った。
人を殴ると手が痛くなる。心が痛くなる。とても辛い。でも、僕は彼を何度も殴った。何度も何度も殴った。時には泣きながら、時には笑いながら、僕は原田秀治という男を4年という歳月にわたり殴り続けた。彼も時に泣いたし、笑った。

じつはKSGオリジナルメンバーは、もう残すところ彼のみとなっているのですが、実は彼も2度ほどバンドを辞めたいと言ってきたことがあります。詳しいことは彼以外の人間のプライバシーを侵害することになるのでここに書くことができないんだけど、とりあえず「死ぬ」か「バンド辞める」かを選ばなきゃいけなくなったらしくて、泣きながら辞めたいって電話してきたのは別によかったんですけど、その時彼、秋葉原にいたんですよね。それがなんかとてもイラっとしたので、「お好きにどうぞ」って言って電話切ったの、とてもよく覚えてます。なんで秋葉原で泣いてんのこいつ、とか思って。事情も薄々知っていたのでそういうこともあるだろうなと思っていたのでいいんですけど、秋葉原で泣いているという事実に苛立ちを隠すことができなかったんです、僕は。
いや、残っていてくれてよかったです。よかったのかよくわかんないけど、とりあえずよかったよ。
オリジナルメンバーは原田だけとは言ったものの、僕の中ではファースト出したこの5人がオリジナルメンバーだヨ☆

一番長く一緒にやってきたから凄くたくさん書けることあるんだろうなって思ってたけど、全然なかったわ。つまんない奴なのかな、原田って。
思い出したら追記します。 次は花田雄貴、キサマの番だわ。

-楽曲解説
カミイショータグループのファーストアルバム、『ROLL』に収録されている楽曲についての解説。
基本的に、歌詞の中身やバックグラウンドにおいては言及しないこととします。
歌というのは第三者が耳に入れた時点でフィクションであってほしいと僕は思っていて、
それがドキュメンタリーなのか、私小説なのかなんていうのは、僕が語るに落ちるところではないと思います。
聴いた人がそのままのイメージでなにかを想像してくれたらとても嬉しく思います。

①ロケットに乗って
2010年、相対性理論のサードアルバム『シンクロニシティーン』を聴いて痛く感動し、その後1時間か2時間くらいでサっと作った曲。
コード進行が、ちょっとだけ相対性理論っぽい。歌詞もあまり中身がなさそうな感じに書いた。
まだKSGがスタジオ練習をはじめる前、ソロのライブでやったけれど自分的にはイマイチで、友人にあの曲はやった方が良いと勧められ、スタジオで合わせてみたところ見違えたので採用された。バンドで初めて合わせた曲が、たぶんこの曲だったように思う。
一番初めに作って、一番長くやっている曲。
持ち曲を使って様々なパターンでアルバムを作ったり曲順を構成したりしたけど、最終段階でこの曲は1曲目以外に置き場所がなかった。僕らのはじまりを1曲目にした、とか言ったらカッコイイんだろうけど、そんなことないです。
たまたま、1曲目が1番映えたから、この曲が1曲目になっただけです。
ハッキリ言って、名曲です。やっぱり1曲目は名曲を置きたいよね。

②夢の島
2012年の8月あたりに作ったと記憶している。
当初、ダウナーなポップソングをやりたかった頃から、メンバーチェンジしてギターの竹内が入ったことによって、もっと過剰なポップソングをやりたくなった頃で、4曲目に入っている『ミラーボールブルー』という曲を作った2012年初春あたりからわかりやすいポップソングを作り始めていたのだけど、その路線の決定版として自分の中で確立されたのがこの曲。「夢の島が何年前で今はどこにいるんだろう」というサビを当初Bメロとして作っていたのだけれど、良いサビが思いつかないし、もっと良いBメロが作れそうな気がしていたので、今の構成になりました。
間奏の沈んでいく感じというか、墜ちた中にちょっとの光がある感じが、最高です。
メロディーの良さじゃなくて、構成の良さで楽曲を立ててみたいと思って作っていたけれど、自分の中では膝を打つほど成功した、超ド名曲だと思います。構成もメロディーも、文句ナシです。
推し曲として、PVも作りました。一聴願いたいところです。
 
PVに関しては、「カタいものは作りたくない」というのがあって、こんな感じになりました。
カッコよくアテレコして、海に楽器を持ち込んでみんなで歌ってるシーンなんか入れても僕らじゃサマにならないだろうと思ったし、それだったら普段、身近でない人にはあんまり見せることのできない僕らのひょうきんな部分とかを映像に詰め込んだ方が面白いものになるんじゃないかなと思って、コンセプトは「海でただ遊んでる風景を撮影して編集する」っていう、ただそれだけのものというか。
間奏のところで急に夜になって関係ない女の子が出てきて、さっぱり意味がわからないと思うんですけど、あの間奏ってこの1曲通した中で、個人的には「夢の島じゃない別世界」ってイメージで、 それこそ堕ちた先のぽつんとしたひとつの光というか、僕は海で遊んでただけで撮影も編集もほとんど関わってないんですけど、ここだけはお願いしてこうしてもらいました。
結構楽しげで、いいPVだと思います。ありがとうございました。


③裏切ってよラブレター
僕は曲を作りはじめるとついつい長くなったりゴチャついたりしてしまいがちなんですけど、イントロもなく歌いはじめ、Bメロもなく、ポップチューンと疾走感だけでサクっと終わってしまう曲が作りたくて、削る作業がわりと苦手な方なのでちょっとだけ苦労したけどなんとかできた曲。これも初期メンバーと合わせて作った曲です。2010年終わりか、2011年のはじめくらい。
レコーディングの際、エンジニアの人に「息継ぎするところ少なすぎ!」と言われるほどに、歌いっぱなしの曲です。 
前のメンバーがつけた、バックで流れるシンセサイザーのメロディーが素晴らしく、印象的です。
みんなに聴かせる前に「裏切ってよラブレター」というタイトルをつけたんですけど、なんだか昭和くさいしポップすぎると思ってタイトルをつけずにみんなに渡してから「NO TITLE」というタイトルで落ち着き続けたのですが、最近になってタイトルをやっぱりつけようと思って、発売前のタイミングでこのタイトルをつけた。1曲目、2曲目がそれなりに長いので、3曲目はサクっとスカっと終わる感じの曲です。イメージでいえば、アクエリアス。
次のブログでは④のミラーボールブルーから解説しますが、ちなみにこの曲はポカリスウェットっぽいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿