2013-10-07

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ちょうど一週間前に観にいった、早川義夫+佐久間正英のライブがとても素晴らしくて、それがどれほど素晴らしかったのかというと、これまで観た生演奏の中で10本指に入るであろう素晴らしさで、何がどう素晴らしかったのかと聞かれたら、これが全然説明できないんですよ。あの演奏自体が評論を拒絶するような、「ほら!素晴らしいだろ?」ってその素晴らしさを押し売りされて「素晴らしいです」とつい言ってしまうような。
僕は早川義夫さんの曲、1曲も覚えてない。というか、覚えないようにしている。
いつだって新しい気持ちで聴き続けたいという人は、稀にいるものだ。

自分が生まれて初めて買ったと思われるCDはJUDY AND MARYのそばかすで、それは佐久間氏がプロデュースした楽曲で、それがロックの目覚めですなんて言ってしまうとかなり安易なものになるけれど、音楽というものをしっかりと、子供ながらに認識したのは、間違いなくジュディマリのそばかすだった。
中高時代、邦楽なんて聴いていられませんなんて言いながら海外の音楽ばかりバカみたいに聴いていた時でさえ、その当時は素直に人に言うことができなかったけれど、ジュディマリだって、エレカシだって、本当は好きだった。
誰にもばれないように、今宵の月のようにを歌いながらアルバイトに行ったりしていた。
プロデューサーてなんぞやとなった頃、自分の好きな曲を虱潰しに調べていたら、びっくりするほど佐久間氏の携わった楽曲が多くて、この人そんなに有名なんですか?って思っていたら四人囃子やプラスチックスのメンバーだった人で、10代の僕はたったそれだけのことで異様に興奮して、それまで散々バカにしていたGLAYを聴いちゃったりして、ちょっと得意げになる恥ずかしい子供だった。

高校生の頃に文章書いて生きていこうとふと思い立ち、日大の芸術学部に入ってだらだらと映画の脚本を書き続けている合間、息抜きに曲を作ったりしていてそれが溜まりに溜まって100やら200になってきて、その時は音楽をやろうなんてつもりは微塵にもなかったのだけど、ある日ふと思い立ってライブハウスに出て、やりたくなくなったらやめようと軽い気持ちでいたら、気づいたら5年経っていた。
そんな軽い気持ちではじめたものだから、いい物を作りたいという意外にこれといって目標なんてなくて、武道館でライブだの、ミリオンだの、そんなことはこれっぽっちも考えてなかったんだけれど、ひとつだけ、やれたらいいなあと思っていたのは、佐久間さんと一緒にCDが作れたら、ということだった。
色々思い出しちゃったのよ、歌う早川さん、弾く佐久間さんを観て。

良い演奏をすると嬉しい。そっけなくしてしまうけど、褒められれば本当は嬉しい。
ひどいライブをすると、まあそれなりに落ち込む。
ひどいライブっていうのは一体なんなのかと言うと、演奏がひどい、気持ちがのらない、まあ色々あるんだろうけど、演奏がひどくても、気持ちがのってなくても、結果として「あれ?今日よかったぞ?」って日は結構あるもので、じゃあ結局ひどいライブってなんなのかと聞かれたら、もうそれはひどかったとしか言いようがないのである。
僕が本気でひどかったと思う日は、普段褒めてくれる友人の表情もいつもと全然違う。その顔を見て、ああ今日はやっぱりひどかったんだと再認識する。
クワトロにライブを観にいく直前に、歴代ワースト3に入れたいくらいにひどいライブをやらかした僕は、その日の夜からしばらく落ち込み立ち直ることができず、僕は普段お酒をほとんど飲まないのだけれど、メンバーとの待ち合わせやスタジオも酔っ払って行くという体たらくで散々だった。
素晴らしい演奏は評論を拒絶するのに、ひどい演奏は拒絶してくれない!

悪いことがあれば、まあそれなりにいいこともある。
散々なライブをした後に起こったいいことは、クワトロであの演奏を目撃できたことだった。
そして、ちょうどさっき届いた、アルバムのジャケットが最高です。
最近、週に1度は嬉し泣きしている。

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